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 八木さんの和歌山豪雨被災地への第2次救援活動報告(2011年10月10日)
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  東日本もひどかったが、災害はみんないっしょ。避難所にたどり着けなかった家族3人には、孤立して3日目に、やっとアルファ米の食事が1食、トイレットペーパー2つ、ゴミ袋1袋が届いたということです。
 若い女性でしたが、夜2時半ごろ、雷の音と停電、見る間に水がやってきて、おばあさんを背中にしょって、懐中電灯を口にくわえ、2階へ逃げようとしたが、腰まで水が来ると、いろんなものが流れてきて、身動きが取れなかったと話されました。
 防災訓練していても、その通りにはいかないし、情報が来た時には、もう 水が来ている。避難しようにも車がひっくり返っていて、どうやって、どこに逃げるのかもわからない。被災地は、どこも同じだと、つくづく思います。
 ボランティアは、家の泥出しや、田んぼに厚いアスファルトの大きな板も流れ込んでいるのを、かたずけました。ほんとうに水の力は恐ろしいと思いました。泥出しでは、文房具やCDの束、化粧品などがでてきました。生活そのものが壊された、と思いました。重機が入れるところはありますが、まだまだボランティアが必要だと思います。(2011・10・9)
(写真上 信じられないような大きな石が!  写真下 休憩の合間に記念写真 前列右は田中幸子那智勝浦町議、後列左が八木さん)