■近畿地建、放流量減らさず琵琶湖の水位低下に拍車(1994年9月14日)

渇水年の琵琶湖の水位と放流量   (一秒間の㌧数)

琵琶湖水位  1984年   1986年  1994年
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-30cm    110.72  106.10   91.34
-50       71.47   84.54  114.75
-80       65.03   62.82  114.82
-90       62.22    -     103.84
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 観測史上最大の水位低下記録を更新しつづけている琵琶湖で、異常な水位低下がおきているのに下流への放流量を減らさなかった近畿地方建設局の瀬田川洗堰の操作で拍車がかかったことが、日本共産党の寺前巌衆院議員の調査で明らかになりました。

 党滋賀県委員会は、これをもとに、「これまで県が危険水位としてきたマイナス50㌢の時点で、放流量を削減していれば、まだマイナス90㌢台を維持できていたはず」と試算しています。琵琶湖の水位は14日現在で、基準水位からマイナス121㌢となっています。

 寺前議員が入手した資料は、近畿地方建設局による琵琶湖渇水時期の流量資料。琵琶湖から流れ出る水の量は、京都疏水(そすい)、宇治発電、瀬田川洗堰をつうじてすべてコントロールされています。この放流水量合計が琵琶湖水位との関係で明らかにされたのは初めてです。

 これによると、琵琶湖水位がマイナス50㌢に低下した時点での琵琶湖からの全放流量は、1984年の71㌧、86年84㌧に絞られていましたが、ことしは114㌧も放流しています。マイナス80㌢の時点では、84年で65㌧、86年62㌧にたいして、ことしは114㌧のまま放流量の削減なし。その後、削減されたもののマイナス114㌢となった9月8日現在でも74㌧の放流が続けられました。異常渇水のなかでも放流量の削減が大幅に「遅れた」ことが明らかです。

 日本共産党県政策委員会は、琵琶湖総合開発がほぼ完成して近畿地建が洗堰の操作をするようになるまで、県が琵琶湖の危険水位としてきたマイナス50㌢の時点(7月26日)で、仮にこれまでの渇水年のように62㌧に放流量がしぼられていれば、史上最低のマイナス104㌢となった8月31日でマイナス80㌢、現在でもマイナス90㌢台を維持できていたはずと試算しています。

 この放流量操作は、琵琶湖総合開発の水資源開発工事が終了した92年4月から実施された瀬田川洗堰操作規則によるもので、同規則は、マイナス1・5㍍までを「利用低水位」としているものの「琵琶湖の水位の維持に配慮して行う」ことになっています。